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ぼうずやのにっき

白い米

仕事へと出かける前に炊飯器の予約を設定した。定時で帰れば7時くらいには着くだろうと「6:30」に設定して出かけた。

仕事が終わり帰って着替えて「さあ食べよう」と炊飯器をあけたところ、米はたけていなかった。どうやら「6:30」は24時間表記であり、午前6:30を指すらしい。

ぼくはがっかりした。

ぼくは白米が大好きなのだ。白いお米を食べるために生きている。白いお米を食べたいときに食べられないのはつらい。茶色い米を食べるなどありえない。玄米なんてくそくらえだ。そう、ぼくはふだん玄米を食べている。

母は玄米が大好きなのだ。彼女は茶色い米を食べることに幸せを感じている。健康に良いとか、みんなうらやましがっているとか毎日のように言う。ぼくは思う、そのうらやましがってるやつらは玄米をたまにしかあるいはまったく食べないからそんなことが言えるのだ、と。

健康がどうとかは問題じゃない。問題は味だ。米の栄養価による健康的な影響よりもまずいと感じつつイライラしながら食べることによる精神的な影響の方がきっと大きい。玄米はまずいのだ。すくなくとも我が家の玄米は。

実は、例の炊飯器はぼくが買ったものだ。そのきっかけが玄米である。あまりに玄米がまずいので炊飯器が悪いのではないかと疑ったのだ。ぼくは3万円を出して炊飯器を買った。しかしまずい。おいしくない。やはり米だ。米がいけない。玄米が、母の買う玄米がまずいのだ。

試しにしっかり精米して食べたところ、ふつうの味がした。おいしい。ふつうこそ幸せ。白米こそ幸せの味である。それが玄米ときたらどうだ。茶色いうえにまずいなんて……。玄米は人の食べるものではない。あんなものを食べるのは家畜である。人間は精米して食べるべきだ。しかし母は精米しようとしない。もったいないとでも言いたげだった。健康によければ皮ごとスイカを食べるのだろうか。

いま、その母が旅行に出かけている。

「これはチャンス」とぼくは白米を買いに走った。近所のスーパーで毎日食べてもなくならないだけの白米を買った。ご飯がすすむようなおかずも買った。つけものやのりも買った。ご飯を中心に世界がまわりはじめた。

……そして、この結果である。

ご飯は炊けていない。外は雨。まだ月曜。犬は散歩を嫌がる。仕事は進まない。がんばれ日本、がんばれ自分。

いい年した大人が炊飯器の操作もできないなんて笑えない冗談である。

26 min.