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ぼうずやのにっき

初日

新しい年度の初日とはいえ何かが変わるわけではない。この世界はアナログで連続的なのだ。昨日の延長にしか今日はないし、明日は今日の延長でしかない。ある日突然変わることはそうそうない。逆にそんなことが頻繁に起きては困る。

今日はきちんと起きた。ひさしぶりに目覚ましを設定した。騒がしいので好きになれない。それでも目標を達成するとそれだけで嬉しいものだ。本来、朝起きてからをどう過ごすかこそが大切なのだけど、今日くらいは起きたことを評価してもいいだろう。がんばった自分へのごほうびに二度寝を許そうかとも思ったが、さすがに自重した。

本を読み進めたわけでもなく、プログラムを書いたわけでもなく、昨日と明日の間の今日をなんとなく過ごしてしまった。

しいて挙げるとすれば、昼食の弁当のご飯がおいしかった。

「なんだそんなこと」と思うかもしれないが、以前も書いたとおり米がおいしいことは重要なことだ。米は基盤である。その米がおいしくないことは問題である。また米に対して「おいしい」が成立していることも重要だ。米は基盤であり、通常評価の対象にならない。その上におかずが加えられてはじめて「おいしい」が成立するものなのだ。

だけど今日は違った。米自体が「おいしい」のだ。弁当の米なので冷えているのだけど、それでもふっくらとしていて、やさしい甘味があって……ぼくのごい力ではこれが限界だ。とにかくおいしいのだ。思わず母に「この米は何?」とメールしてしまったくらいだ。

母からの返信によると「もらいものの高いお米」らしい。納得した。味が違いすぎる。本当においしい米にはおかずなど不要なのだ。ぼくはそう確信した。

今日、ぼくの中でのお米の価値感が変わったのだ。

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