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ぼうずやのにっき

映画『ラッシュ/プライドと友情』をみた

映画『ラッシュ/プライドと友情』をみた。以下はネタバレを含む感想。

1976年のF1世界選手権を舞台にハントとラウダとの関係を描いたヒューマンドラマである。ポスターなどにかかれた「ヒューマンドラマ」というキーワードは的を得ていると感じた。あくまでも舞台をF1レースにしたふたりの関係が描かれている。

レースの描写は確かに悪くないんだけど、それは割とどうでも良くて、F1レースは命がけでふたりが競争しているという状況をつくるための設定みたいだと感じた。ラウダの視点(ナレーション)で描かれているから、なおさらかもしれない。ラウダはことあるごとに「20%のリスク」を強調する。F1は死亡するリスクが高いと訴え続ける。そうやって死と隣り合わせという状況をつくって、その上で争っていることを強調する。

ふたりはライバル関係にあって、上記のような命がけの状況で競争するわけなのだけれど、ぼくはどうも落ち着かない。負ければ死なない、勝とうと思えば死のリスクを乗り越えないといけない。そういう状況が本当に健全なのか、とか考えてしまう。戦争映画かと勘違いしそうだ。

結局、この映画で描かれるレースではハントが優勝する。ハントとラウダとがやりとりする空港のシーンが印象的で、決定的に違うふたりが互いに言葉をかわす。決定的に価値観が違っていて、かみあっていないモヤモヤした会話だ。映画は、ラウダのナレーションで、後にハントが引退したことやその後を受けて残念だというラウダの感想でもって、幕を引くのだけれど、これまたなんだか落ち着かない。たぶんナレーション(ラウダ)の価値観に偏りがあって、それとまったく違う価値観で生きているハントをみているからだと思う。

ぼくが「戦争映画」と書いたのは理由がある。

それは価値観によりかなり見方が変わるからだ。これはさきに書いたとおりで、ラウダの価値観でみればまあさほど問題ないが、ハントの価値観でみたらこの映画は違和感があるように思える。最後の会話の食い違いがまさにこれだ。戦争も価値観が違うなにかがぶつかり合うわけで、互いに正義を主張する。そして、そのせいもあって「勝ち」が存在しない。この映画はF1レースでの勝利が「勝ち」ではなくて、それぞれが自分なりの「勝ち」を持っていて、それがぶつかるのを描いている。だからこそ、単一のレースをゴールとみないラウダは、この映画の後に勝った(残念だ)と感じているわけだ。勝負に命をかけている点もまた戦争のようだと感じた理由だ。

面白い映画だと思う。もっと色々みかたがありそうだけど、彼女がなにやら急かしているので、このへんでやめる。