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ぼうずやのにっき

雑記 -- やりたいことをできる

以下、特定の組織の内部事情を指すわけではない雑記。

「やりたいことをできる」ためにはどうすればいいのか。まずやりたいことがやるべきことであるとき、やるべきことをやるだけでできるので問題ない。次にやりたいことがやるべきことでないとき、これが問題だ。やるべきでないことをできる環境とはどういう環境だろう。

もうすこし具体的にしてみる。

ある立場においてやるべきでないことがある場合はどうだろう。たとえば「プログラマはプログラミングをすべきだが、マネージャーはプログラミングをすべきではない」という規則がある場合だ。この場合にマネージャーがプログラミングをしたい場合、「やりたいことをできる」ようにしたいなら、マネージャーをやめてプログラマになることができれば良い。立場を変えることで「やりたいことをできる」ようにする。

別の例でも考えてみよう。ソフトウェアの責任を持つ開発チームと、その販売・売上の責任を持つ営業チームがあったとする。このとき開発チームは売上のための機能を開発してはいけないのだろうか。売上について意見してはいけないのだろうか。先の例で言えば、営業チームに移ればいい。でも同時に開発もやりたいならどうなるだろう。

このチーム分割はあくまでもサービスをうまく運営するためのものであって社内の事情だ。社外から見たときはチームがどうこうなどどうでもいい話だ。ぼくは互いに不可侵の領域をつくることで全体としてうまくいかなくなるならチームなどなくていい。あるいは両方に属すればいい。

脱線するが、外から見たときにどういうものであるべきなのか、そのためにはどうすればいいのかを考えるべきだ。その結果として、チームが必要なら置くべきだし、不要なら置くべきでない。

脱線したまま、チームについて考えてみる。

チーム分割によって立場・やるべきことが分けられてしまい、できなくなる、やりづらくなる可能性を示した。ではチームは不要なのだろうか。

問題を複雑にしつつ、チーム必要論者のことを考えてみる。

上記のような全体からの視点で考えられない人間がチームに居たとする。彼 (あるいは彼女) は何をどうすれば全体として良くなるのかが分からない。また、彼 (あるいは彼女) は自分が何をやりたいのか分からない。以降、この人間を「バカ」と呼ぶ。

チームはバカを助けるために必要だろうか。

バカには全体が見えないので、自分あるいはその役割を表すチームのことだけを考えればいい。バカでもやるべきことが分かるようにチームを設けようという発想だ。やるべきことが見つからないなら、まずはやるべきことをやってみればいい。やるべきことが分からないなら、分かるようにしてやろう。

うーん。

何かに集中・特化・専門化することは否定しない。それぞれのチームがそれぞれの責任のために動けばいい。

ただ、あるチームにとって最善の行動が他のチームを害するものだった場合は? そこでは全体としてどうかという視点が必要になるだろう。他の責任に対して無責任にならないだろうか。結果として、他のチームが沈んだとき、全体が沈むという可能性はないだろうか。自分を守るために相手を守る必要がある。これを自身の責任の範囲にどう含めるべきだろう。

ぼくの好きな言葉に「なさけはひとのためならず」がある。ぼくはこの言葉からさまざまな想像をする。基本的には自分を中心に考えるが、相手に自分を中心に考えることを許容してもらうためには、相手も相手を中心に考えている可能性を尊重すべきだ。とか。矛盾を回避しようとするような、バランスが好きだ。

自分のために相手のための何かをする。開発チームが開発のために、営業チームを助ける。全体としての視点への誘導装置としての「なさけはひとのためならず」だ。

そもそも、チームなどという単位に分断されなければ、自分と相手などという無駄な境界は発生しないのだけど。バカを助けるために必要とあれば仕方ないのだろう。