bouzuya.hatenablog.com

ぼうずやのにっき

チームの決定にしたい

疲れている。

論理的でなく、経験則的、感覚的、感情的なことを断定的に書く。読まなくていい。

厳密には誰か一人の決定・責任になるとしても「その人の決定」ではなく「チームの決定」にしたいとぼくは思う。

チームの決定でないとき、その人とそれ以外の間には距離が生まれると考えるから。その人が決めたから、その人の責任だから。壁・溝・距離。決定者の孤立。

チームの決定でないとき、自分で考えなくなるから。考えたって結局その人が決めるんでしょ。考える意味ないじゃん。仕方ない。諦めよう。そういうもの。いびつな力関係。思考停止。

↑は論理としては正しくなく、飛躍がある。でも、経験則的には、意識しないとそういう力が働きがちだと感じる。人間は論理だけでは動かない。機械じゃない。感情で動くこともある。……というか感情で動くことのほうが多い。

どうすればチームの決定になるのか。

満場一致ならいい。問題はそうでないときだ。「全員の意見がいつも完全に一致する」なんてことはありえない。それでもすり合わせようとした、互いの意見を組み込もうとした。時間などの制約の中で最善の判断を目指そうとした。そこに対して一定の「納得感」を持って、自分の意見ではないけど、それで行こう。これを「チームの決定」だと合意する。

肝心なのは「納得感」だ。これは論理じゃなく感情ということだ。できるだけのことをやった上での「仕方ない」には納得感がある。できるだけのことをやった上での「その人が決めたから」には納得感がある。「チームの決定としていい」と感じる。納得感がある。

こういうプロセスのベースには、チームのメンバー間の関係性・信頼性のようなものがある。そういうものがなければ「すり合わせようとした」も「互いの意見を組み込もうとした」もポーズに見えるし、理由づくりに過ぎないように見える。

関係性・信頼関係というのはパッとできるものじゃない。強引に力任せにできるものではない。むやみに疑うべきではないが、疑いたくなる感覚を否定すべきでない。信じるべきだが、信じることを強制すべきでない。構造を整えて、ゆっくりと時間をかけて自然とできあがるものだ。つくるというよりはできるものだ。


今日のコミット。

たぶんアート

無。ひさしぶりに bouzuya/bbbs を開いたが、もう何をやっていたか思い出せない。とりあえず Firestore 対応でもするか……と思って mod だけ追加して……。やめとくか……ってなった。たぶん疲れている。


トイレの壁にセロハンテーブでトイレットペーパーが止めてある。子どもの仕業なのは間違いない。壁にテープで貼り付けたバナナがアートなら、これもまたアートなんだろう、たぶん。これは、たぶん、アートだ。


今日のコミット。

前例を、つくっていけ

zenn 記事の下書き 2025-07-15 を追加した。雑に tokei のことを書いた。

いろいろ書けば、いろいろ書いていいことになる。前例を、つくっていけ。おわり。


今日のコミット。

2025-W28 ふりかえり

2025-W28 をふりかえる。

2025-W28 の目標 とその記事

目標。

  • ☑ 2 記事は下書きする

記事。

2025-W28 はどうだったか。

目標どおりに zenn 記事の下書きを 2 つ追加できた。でもこのペースをずっと維持・習慣化するのは厳しそうだ。日曜日が終わった現時点で次の下書きができていないし……。

いろいろあってイライラしていた。深呼吸するとか散歩するとかうまく解消しよう。

それ以外のコーディングはほとんどできていない。 bouzuya/googleapis-tonic が停止していたのを解消したくらいか……。

2025-W29 の目標

  • 深呼吸・散歩する

子どもの歯が抜けた

会社の読書会に合わせて『 Looks Good To Me 』を読んでいる。今日は Part 2 までを読んでメモ書き。


上の子は歯がまた抜けた。上の前が抜けて、まんがみたいな顔になっている。


今日のコミット。