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ぼうずやのにっき

普通 普通 わりと普通

気になるあの娘の頭の中は 普通 普通 わりと普通

イジワルあの娘は県大会で準優勝 はしゃぎ疲れ眠りこんでいた

相対性理論 - 『気になるあの娘』

通勤電車で音楽を聞いていて、ふと歌詞が気になった曲である。キャッチーで軽快なメロディにのせて、ため息のようなブレスをはさみつつ、けだるそうに歌っているのが印象的な曲である。

引用部分は曲の冒頭の歌詞である。引用部分と同様に曲は「気になるあの娘」と「イジワルあの娘」を対比させながら進んでいく。

そして曲の終盤では次のように続く。

気になるあの娘の想いは巡る ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる

イジワルあの娘の頭の中は 普通 普通 わりと普通

ぼくが気になった点は「あの娘」のとらえ方だ。

「気になるあの娘」と「イジワルあの娘」は同一人物なのだろうか。それとも別の人物なのだろうか。

同一人物だと仮定して聞くと、終盤の歌詞は「あの娘」が同一人物であることを説明しているものとなる。そして曲は全編を通じて気になるイジワルなあの娘のことばかりを歌っている曲になる。曲名である『気になるあの娘』から考えると、こちらが自然な解釈なのだろう。あの娘はイジワルだけど気になって仕方ないのだろう。

別の人物だと仮定して聞くと、終盤の歌詞は気になるあの娘もイジワルあの娘も頭の中はどちらも普通だということになる。あの娘は気になるけど、イジワルな別のあの娘も中身は似たようなものだとそんな意味だと解釈できる。

ぼくはどちらかというと後者の解釈が好きだ。

後者の解釈には「普通」という言葉がいかに強いかを感じることができるからだ。

ぐるぐると頭を巡って仕方ない気になるあの娘も、イジワルで運動神経抜群のあの娘も、結局のところ普通の枠を越えられない。ぼくがどんなに変なやつだったとしても、どんなにがんばったとしても普通のはんちゅうにおさまってしまうだろう。

ぼくは「どうせ普通なのだから」を、がんばらない方に向けるのではなくて、力を抜いて軽い気持ちでがんばる方に向けたいと思う。きっと九龍からニューヨークへと向かうノンストップのタクシーなんて想像はそういう気持ちでないと生まれないとそう思うから。

48 min.