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ぼうずやのにっき

『「経験学習」入門』を読んだ

2018-11-09 に読んでいると書いた『「経験学習」入門』を読み終えた。そのまま取り込むというよりは自分の言葉・考えかたに合わせて良い形で活かしていきたい。以下は本に書いてあることというよりそれを受けての気持ちなどを書いた。

きっかけ

この本を読むことにしたのはこの記事がきっかけだ。 ストレッチ + リフレクション + エンジョイメント /「経験学習」入門を読んだ - kakakakakku blog 。経験から学ぶ。ふりかえり。そういった言葉が並んでいる。

このブログ blog.bouzuya.net には週・月でふりかえりがある。しかしこのところ形骸化しており、うまくいっていないように思っている。そういう気持ちを mockmock.dev の Slack に出したこともある 。そういう状況を打開するためのヒントが得られるかもしれないと思った。

「ストレッチ・リフレクション・エンジョイメント」と「思い・つながり」

この本では「経験から学ぶ力のモデル」として「ストレッチ・リフレクション・エンジョイメント」という三要素が「思い・つながり」を中心に配置された図が出てくる。「適切な「思い」と「つながり」を大切にし、「挑戦し、振り返り、楽しみながら」仕事をするとき、経験から多くのことを学ぶことができる」ということだと書かれている。挑戦・振り返り・楽しむがそれぞれストレッチ・リフレクション・エンジョイメントに対応するらしい。 2018-11-09 にも書いたがいまひとつピンと来ない表現だ。

「やってみる・ふりかえる」というシンプルなサイクル

ぼくは「やってみる・ふりかえる」というシンプルなサイクルが好きだ。

ぼくはあまり言葉を知らないので PDCA から話す。何かをやるとき Plan は大切だ。でもそれを立てづらいこともある。そういうときは大きな問題がないことだけ確認して小さいサイクルなら即 Do で良いと思う。 Check は必要だ。 Check のためにも Plan は要るのだけど、 Do と前回の Do の差で十分なことも多いと思う。 Action と次の Do に含めてしまって良いことも多いと思う。……要するに PDCA の DC だけで良い (ことが多い) と思っている。これがぼくの「やってみる・ふりかえる」という形だ。ふりかえるときは次回にどうするかという計画を含めるし、やってみるには前回の改善を含む。

この本で言うと「やってみる」は「ストレッチ」で「ふりかえる」は「リフレクション」なのだろう。

ストレッチ・リフレクションにおける観点では、引用されているエリクソンの「よく考えられた実践 (deliberate practice) 」がとても良い。

  • 課題が適度に難しく、明確であること
  • 実行した結果についてフィードバックがあること
  • 誤りを修正する機会があること

……というかもうこの本のストレッチ・リフレクション・つながり・サイクルなどの要点をまとめたものとして捉えても良さそうだ。

サイクルを補助するもの「エンジョイメント」「思い」「つながり」

この本の「エンジョイメント」の位置づけに違和感がある。その説明としてストレッチ・リフレクションだとつらいものになるからあると書いてある。それでは補助するものに過ぎないのでサイクルの一部に位置づけるのはおかしいと思う。「思い」や「つながり」などと同様にサイクルからは外して良いと思う。

「思い」と「エンジョイメント」はぼくなら「動機」でひとくくりにしてしまいそうだ。もちろん同じものではないがサイクルとは別の要素だ。サイクルを止めないためや早めるための要素だ。

「つながり」。これもサイクルとは別の要素なのだけど、↑の mockmock.dev のスレッドにもある気になる点だ。「つながり」はもっと細分化できそうだ……。それはさておき。例えば他者の意見というのは有効だと思う。それは『エンジニアリング組織論への招待』 (2018-03-21) で出てきたはずなのだけど、メンター・メンタリングの必要性だ。自分の認識というのは疑ってかかろうとしてもうまく疑えないものだと思っている。タイマーやコンピューターなどの機械や他者 (つまりは「つながり」による補助) はこの問題への解決策として有効だろう。

この「つながり」に相当するものへの方法論などがもっと知りたい。

その他の気になったもの「学びほぐし」「ノウイング」

「学びほぐし」「アンラーン」「アンラーニング」で出てくるもの。昔のやり方に固執しない。時代遅れになった知識を捨てること。持論を構築すべきだが、常に改定し続けていないといけない。……そんな感じ。

↑に書いたとおり、この学びほぐしのきっかけにも他者からのフィードバックは役に立つだろうなあ。

「ノウイング (knowing) 」。知識は人から人へ書物から人へと移転されるのではなく、他者の知識や書物の知識を道具として使用しながら、新しい知識を作り出している。これ以降の筆者による解釈とこの引用っぽい部分に対してのぼくの解釈が違っている。「アドバイスを受けながら自分で考えること」みたいな解釈が書かれている。

ぼくはもっと根本的なところに言及するアイデアとして捉えるほうが面白いなって。人間が知識を得るときはコンピューターにおけるコピーのような挙動ではなく解釈した別の何かを得ているのだ……って。自分の見る色と他人の見る色の話をはじめて聞いたときのようなそんな気持ちになった。

最後にうさんくさい話を持ってきたせいで妙な感じになってしまった。


朝から姪の世話をする。疲れる。友人と会って食事をした。トマトカレーラーメンをおごってもらった。

Pixel 3 が届いた。近いうちに書く。

bokuran.com が公開された。近いうちに書く。