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ぼうずやのにっき

『超一流になるのは才能か努力か?』を読んだ

アンダース・エリクソンの『超一流になるのは才能か努力か?』を読んだ。

半分くらいで関心を失ってしまったのだけど最後まで読んだのですこしだけメモしておく。ざっくり言うと「超一流になるためには限界的練習が必要だ」という本。

きっかけ

2018-11-10 に読んだ『「経験学習」入門』の中でエリクソンの「よく考えられた実践 (deliberate practice) 」というものが紹介されていたことから。

練習

練習には↓のようなものがあるらしい。

  • 愚直な練習
  • 目的のある練習
  • 限界的練習

愚直な練習

ただ繰り返すだけ。弱点を克服できない。

目的のある練習

個人的には一番興味のあるライン。特徴は↓。

  • はっきりと定義された具体的目標がある
  • 集中して行う
  • フィードバックが不可欠
  • 居心地の良い領域 (コンフォート・ゾーン) から飛び出すことが必要

2018-11-10 の 3 つに集約されたものと大差はない。

具体的目標の例としては「ミスなく最後まで 3 回連続で弾く」など。長期的な具体的目標やそこへの段階も必要そう。集中の例はこれというのがなかった。フィードバックの例としては「成功・失敗」や「どこがダメだったか」が分かるなど。コンフォート・ゾーンから〜の例「少しずつ厳しくしていく」など。

コツのような形で、「壁を乗り越えるために別の方向から攻める」や「続けるために肯定的なフィードバックを得る」などが挙げられていた。

限界的練習

この本の主な領域なのだけどこれがつまらなくて関心を失った。

前提として↓がある。

  • 対象となる分野がすでに比較的高度に発達している
  • 学習者に対し、技能向上に役立つ練習活動を支持する教師が必要

ほかにも優れた技能とは何かという客観的基準が存在しないとダメだったりと注文が多い。ぼくには練習の設計やフィードバックのための教師などの条件を整えているだけにしか見えなくて面白くないと感じてしまった。

心的イメージなど詳細や実例などが続くのだけど何度も書いたとおり関心がなかった。なぜならぼくの必要としている練習はせいぜい「目的のある練習」で目標もその程度だ。超一流になりたいとは思わない。

全体を通じて

前回の「経験学習」のときの印象として「よく考えられた実践 (deliberate practice) 」は「ほとんどのゲームがそれをうまく設計している例だな」と思っていた。今回はその印象値以上の何かを得られなかった。

この本から直接的に得たわけではないけど「効率を良くしないと……」や「伸びなくても諦めないぞ……」という気持ちが出てきた。そういう意味では良かった。具体的には mockmock.dev の 2 時間の活用方法を考え直そうと思っている。面白い取り組みができると良いな。


bouzuya/yzrhコマンドラインオプションの解釈部分をつくっている。 2018-11-21 の続き。

-abc 形式と Either String a でのエラーに対応した。あとは昨日 (2018-11-21) のリストから言えば……。

  • -- foo bar
  • ヘルプの表示
  • ( サブコマンド )
  • ( シェルでの補完 )

上記のほかに使い勝手が悪いので API を変えたい。 Object で返すのはあんまりなので Record に変換しようと思う。 Simple.JSON がやっているものとほとんど同じだからできるはず……。 RowToList などを扱うのかな。明日やろう。

例によって本来の機能がまったく進んでいない。


昨日すこし考えさせられるできことがあった。 2018-12 ごろから自身のふるまいについて変える方向で考えたい。