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ぼうずやのにっき

じごくのそうべえ

金曜日の夜が天国なら日曜日の夜は地獄である。

週に1度の地獄だと分かっているのであれば、どうにかできそうなものだけれど、好きなものは好きであり嫌いなものは嫌いであるように、どうにもできないものはどうにもできないのである。ぼくはそんなにうまくできていないのである。

うまくできていないで思い出した話をしよう。考えてほしい。音をより大きく聞かせたい場合にどうすればいいだろう。

あなたは「音を大きくすればいい」と答えるかもしれない。それもひとつの手だろうが、もっと良い方法がある。それは「その前の音を小さくする」ことだ。ヒトの耳はうまくできていない。小さい音の後に聞く音はより大きく聞こえる。音量には確かに客観的に測量できる単位が存在する。絶対的な音量がある。しかし、ヒトが聞き取るのは絶対的な音量ではなく、相対的な音量である。小さい音から大きい音への急な変化は、音をより大きく聞かせる。

さて、問題は今日が地獄の日曜日だということだ。これが地獄となるのは金曜日が天国だからである。天国から地獄への落差、急な変化をぼくは感じさせられている。それこそがいまを地獄と感じる原因なのである。

要するに「金曜日の夜を天国としなければいい」のである。こう聞くと簡単に解決できそうな地獄問題だけれど、先に説明したとおり、どうにもならないのである。なぜなら天国もまた地獄によって生まれるものだからである。平日5日間から開放されることで生まれる天国なのだ。

こうなってくると、天国と地獄のどちらが先か分からなくなる。鶏が先か卵が先かを問うようなものだ。会社を辞めれば平日5日間からは開放されるが、今度は収入がなくなる。収入がなくなれば、新しい就職先を探さなければならない。針の地獄と熱湯の地獄とでは、どちらが辛いのかなど考えたくもない。

地獄でも楽しく過ごせないものだろうか。昔、絵本で読んだそうべえのように。

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